教養

『モモ』ミヒャエル・エンデ|守破離の書評

1994年生まれ。埼玉県立川越高校、法政大学文学部卒。ライターが記事を作成する行為は「無から有を生み出す行為」であり、無のときにはなかった価値を提供する意味のある行為と感じている。「膨大な知識量と独自の視点で世の中の潮流を見極めるコンテンツメイカー」を目指して活動中。


モモ
著者:ミヒャエル・エンデ
訳者:大島 かおり
出版社:岩波書店

ISBN:4001141272
発売日:2005/6/16
サイズ:17cm/409p

 

『モモ』の世界にようこそ

今この瞬間、あなたは呼吸をして、まばたきをして、座りながら、あるいは寝転がりながら(立っている人もいるかもしれない)、この記事を読んでいる。そうしている間、時間は確実に、1秒ずつ過ぎ去っていく。

1分は60秒。1時間は3,600秒。1日は86,400秒。1年は31,536,000秒。10年は、100年は…

今この瞬間はたった1秒でも、積み重ねていけばいずれは膨大な時間となる。

確かにそうだ。時間は1秒も無駄にはできない。時間の使い方は、今のままでいいのだろうか。今すぐ時間を有効に使う方法を考えなくては。そう思ったあなた。もしくは、今までに1度でもそう思ったことのあるあなた。もしかしたら、どこかで『モモ』に登場する時間泥棒に時間を盗られているかもしれない。そんな人こそ、この記事を読んでほしい。

『モモ』は、ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデ(1929~1995)が1973年に作り上げた小説で、1974年にドイツ児童文学賞を受賞した。ミヒャエル・エンデは日本とも関係が深く、彼の作品である『はてしない物語』を日本語に訳した佐藤真理子と人生2回目の結婚をしている。

さあ、ミヒャエル・エンデの『モモ』の世界に、あなたをご招待しよう。

 

軽い説明

はるか昔に建てられて廃墟となった円形劇場に、10歳位のモモという女の子が住み着いた。モモは話を聞くのが上手く、街のみんなは色々なことをモモに話していた。悩み事を相談していても、気づくと自分の中に答えが見つかっている、モモはそんな不思議な女の子だった。

街の人はモモが大好きで、何かあると「モモのところにいってごらん」と言うようになった。モモに話を聞いてもらえば、自分のことがよく理解できるのだ。子どもたちもよく遊びに来た。モモと一緒にいると、子どもたちは創造力が豊かになり、次々に面白い遊びを思いついた。

ある日から、時間泥棒が暗躍し始めた。彼らは、「時間を節約した分を時間銀行に貯蓄すれば、いつでも時間を引き出せるし、何年も貯蓄していれば利子も手に入れられるから、たくさん生きることができる」と言って人々に時間の節約を勧めた。人々はこれに従い、時間を節約して生活を始めた。無駄なことは一切やめ、必要なことだけをするようになった。

子どもたちは将来の役に立つことを学ぶために「子どもの家(学校のようなもの)」に通うようになり、のんびり屋の掃除夫は一心不乱に掃除をするようになり、おしゃべりが大好きだった青年は時間に追われて新しい物語を思いつかなくなった。

みんな時間がもったいないと言ってモモの元に集まらなくなり、モモは一人ぼっちになってしまった。

そんなモモに救いの手を差し伸べたのが、時間を司るマイスター・ホラだ。彼はモモに、時間とは何かを示し、時間泥棒から人々の時間を取り返す方法を教えた。

モモと時間泥棒の、時間を巡る争いがこうして始まるのである。

 

時間について考えること

私が思うに、モモは本来誰しもが持っているはずの”自由な時間”の象徴である。モモといる時、人々は存分に創造力を発揮し、自分自身を見つめることができる。笑顔が絶えず、自分の時間を生きている。一方で、時間泥棒は誰かに使い方を決められてしまった時間の象徴である。

人々が節約しているのは、自分がやりたいことをできる時間、つまり”自由な時間”である。時間泥棒の勧めに従って時間を節約し、”自由な時間”がなくなると、人々は余裕がなくなり、決められた時間で決められたことしかできなくなりそれができないとイライラするのである。時間を節約するようになると、人々が感じる時間はどんどん短くなっていく。1年があっという間に感じる。なぜなら、節約した時間は時間泥棒に盗られてしまっているからだ。過ぎ去った時間は取り戻すことができない。にもかかわらず、時間泥棒は「時間を節約して時間銀行に預ければ、利子として返す」と嘘をついているのである。

歳を重ねるにつれて、時間が短くなっていく感覚を持っている人も多いだろう。それは、自由な時間を節約して生きようとしているからなのかもしれない。実はこの「歳を重ねるにつれて時間が短く感じられるようになる現象」は、大人になると変化や刺激が少なくなることが原因と言われている。小学生の頃は全てが新鮮に感じられた。新しい友達、勉強、ランドセル、何歳も年の離れた上級生。これまで体験したことがないものでいっぱいだった。これが大人になると、新しい変化や刺激が少なくなってくる。毎日同じ電車に乗って通勤し、同じ仕事をして、同じ電車に乗って帰る、そんな人もいるのではないだろうか。毎日同じことの繰り返しでは、わざわざ記憶する必要もない。そうして記憶されない時間が多くなると、時間が短く感じられるようになるのだ。

自分が自由にできる時間はどれくらいあるだろうか。振り返ってみてほしい。もし、”自由な時間”がない、毎日忙しいと感じているのなら、それはあなたの元に時間泥棒がやってきたのかもしれない。それはつまり、本来持っている”自由な時間”を自由に使えないということではないか。

『モモ』の中で、時間泥棒の敵は子どもたちとされている。子どもたちは大人たちと比べて、”自由な時間”をたくさん持っているからだ。子どもたちは時間を自由に使い、大人が想像もできないような遊びをする。子どもは、お姫様にも海賊にもなることができる。砂からお城を作り出し、枝で戦うことができる。私達にそんな素敵な遊びが思いつくだろうか。いつしか私達は、自由を忘れてしまっているのではないだろうか。

 

結び

モモはマイスター・ホラ(人々に時間を渡す役割を果たしている人物)にこんな質問をする。

「時間泥棒が人間から時間をこれ以上盗めないようにすることだって、わけもないことでしょう?」

するとマイスター・ホラはこう答える。

「いや、それはできないのだ。というのはな、人間は自分の時間をどうするかは、じぶんで決めなくてはならないからだよ。だから時間を盗まれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。わたしにできることは、時間を分けてやることだけだ。」

時間の使い方は自由であり、それは自分自身で決めなければならないのである。もちろん、生活するために働かなければならない時間もあるだろう。それを「決められた時間ではないか」と思う人もいると思う。ただ時間を「生活するために働く」ことに使うかどうかも、自分で決めることなのである。

時間泥棒に時間を盗まれていないだろうか。時間倹約家になっていないだろうか。自分の胸に手を当てて考えてみたい。

ミヒャエル・エンデ 1929年11月12日生まれ、1995年8月28日没。ドイツの児童文学作家。著書に『はてしない物語』、『ジム・ボタンの機関車大旅行』、『満月の夜の伝説』、『サンタ・クルスへの長い旅』など。