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第8代環太平洋バンタム級王者に聞く、何度も挫折した男がそれでも格闘技をやめなかった理由。

1994年生まれ。埼玉県立川越高校、法政大学文学部卒。ライターが記事を作成する行為は「無から有を生み出す行為」であり、無のときにはなかった価値を提供する意味のある行為と感じている。「膨大な知識量と独自の視点で世の中の潮流を見極めるコンテンツメイカー」を目指して活動中。
何かを続けている人に取材をして、どんな思いを持っているのかを伺うこの企画。今回はパラエストラ千葉道場(千葉県千葉市)を訪ね、格闘技団体「修斗(シュート)」で第8代環太平洋バンタム級王者の岡田遼さんにお話を伺いました。
紆余曲折を経て環太平洋バンダム級のベルトを手にした岡田さんが、何度も格闘技をやめようと思ったとき、心の支えになったのはある人物でした。


(修斗 第8代環太平洋バンタム級王者 岡田遼さん)

本日はよろしくお願い致します!

大島
大島
岡田さん
岡田さん

こちらこそお願いします!

さっそく色々とお話をお伺いしたいのですが、こうして実際にお会いしてみると、岡田さんはやっぱりものすごい筋肉をお持ちですね。格闘技を始められたきっかけは何だったんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

大学1年生のときに始めたんですけど、元々TVで観るのが好きだったんですよ。プロレスやK-1などもよく見ていましたし。魔娑斗とか、山本KIDとか。

始める前は何をされていたんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

高校卒業まではサッカーをしていました。

サッカーをされていたんですね。サッカーと格闘技は全く違う世界のように思いますが、今までとは違う世界に飛び込むことにためらいはなかったんですか?

大島
大島

岡田さん
岡田さん

そうですね。ためらいよりは興味のほうが大きかったですね。単純に観るのが好きで、きっと観るより実際にやる方が楽しいんだろうなって。

もちろん、恐怖心というのはありました。未だにありますよ。試合は怖いものです(笑)

ただそれよりも、好奇心のほうが上回っていました。

全くの未経験ですよね?最初はどのようにして始められたんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

まさにここ(パラエストラ千葉道場)に来たんですよ。大学がすぐ近くで、自転車で来られる距離だったので、授業終わりにここに来て。

そしたら、今の俺の師匠である鶴屋さんという、ここのボスがいたんです。

それで、鏡の前でシャドーみたいなことをさせられて、パンチっていうのはこうやって出すんだ、キックっていうのはこうやって出すんだって教えられて帰ったのを覚えています。

10年くらい前のことですね。

そこから道場に通うようになったんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

そうですね。本当に初心者だったので、メチャクチャ弱かったです。ボコボコにされてばっかりでした(笑)

それでプロになったのが、大学院1年のときですね。2012年かな。

プロになるステップはどのようなものなのですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

修斗(シュート)の場合は協会がプロのライセンスを発行するんですけど、プロになれるのはアマチュアで成績を残した人だけ。

アマチュアの修斗って甲子園みたいに選抜がしっかりしていて。関東選手権や東北選手権など、各地の地方選手権があり、そこで優勝した選手が1年に1回、全日本アマチュア修斗選手権に出場できるんです。そこでベスト4以上に入賞するとプロのライセンスをもらえるんですよ。

俺がアマチュアをやっていたときは、そもそも地方のアマチュア選手権に出場することも大変だったんです。通算何勝以上みたいな出場制限があって、ぽっと出のアマチュアでは選考にも引っかからない感じでした。

だからトーナメントじゃなくワンマッチ(※1試合ごとに組まれる試合)で勝ち星を積み重ねていくしかなかったんです。

プロまで結構遠い道のりですね。

大島
大島
岡田さん
岡田さん

そうなんです。

俺これいけるのかって思いましたね(笑)

やめようとは思わなかったんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

思いましたよ。そんなタイミングはいっぱいありました。アマチュア時代からありましたよ。

特に印象に残っているのは、ようやく全日本選手権に出られたとき。「俺はここで絶対に優勝してプロになるんだ」って思って挑んだ大会で一回戦負けしたんです。1年に1回しか全日本選手権がないので、プロになるためにはまた1年待たなきゃいけない。

大学4年生のときで、「今後どうするか、就職するのか、格闘家としてやっていけるのか」っていう瀬戸際の揺れる時期に一回戦負けして、もうだめだからやめようっていうのはまず思いましたよね。

同世代のご友人の方々も進路を決めるタイミングですもんね。

大島
大島
岡田さん
岡田さん

そうなんです。ものすごく悩みましたね。

ただ、「また1年後か、また地方予選からやり直しか、途中で負けたら全日本出れないしなぁ」と思ったときに、死んだときに自分の人生振り返ってどう思うかな、って考えたんですよ。やめたら後悔するだろうなって思ったんですよね。若いときしかできないじゃないですか、格闘技って。

普通に就職して働くことなら何歳からでもできるけど、格闘技は若い今じゃないとできないなって思って。

そうなんですね。

その次の年の大学院1年生のときにプロになっていますよね?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

そうなんですよ。

その次の年に全日本選手権で優勝しました。一回戦負けからの(笑)

それでプロ昇格を決めて、デビューして、という流れですね。

プロ入りしてからの成績はどうだったのですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

12月に新人王トーナメントというのがあるんですよ。その年デビューしたプロ選手たちによるトーナメントで、決勝まで行ったんですけど、決勝戦で負けたんですよ。当然新人賞は獲れなくて、その時も「あ〜俺ダメだな」みたいな。

準優勝でも、ですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

チャンピオンになりたいやつが、デビューしたての人たちしかいないトーナメントで負けてたら先はないなと思いました。

当たり前に新人王になると思いましたし。

落ち込んだし、「あ〜もうこんなところで負けてるようじゃ選手として未来はないな」と本気で考えました。その時も揺れましたね。

どうやって気持ちを切り替えて乗り切ったんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

そういう気持ちを鶴屋さん(※岡田さんの師匠)が見抜いて、「お前、負けて辞めるのは簡単だぞ。負けるとみんな辞めたくなるんだよ。だけど、最終的に夢が叶えば、そいつの人生はそれで勝ちだから。今お前が辞めたら負けは過程じゃなくて、ただ『はい、だめでした』っていう終着点になっちまう。だからやれ。こんなところで辞めんじゃねえ」と喝を入れられました。

これは大きかったです。

そこからすぐ試合を組んでくれて、12月に負けて2月に試合が入ったので、練習するしかないと。1日2日ぐらいは落ち込んでましたけど、切り替えてまた練習することにしたんです。

鶴屋さんのお声掛けは大きかったんですね。

大島
大島
岡田さん
岡田さん

それは本当に大きかったですね。

次の大きな大会はどうだったんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

新人王では負けたんですけど、そのあとの単発の試合では勝っていきました。

その次にインフィニティリーグという、選ばれた選手5人が一年間かけて戦うリーグ戦をやったんですよ。ランキングに入るか入らないかぐらいで、有望そうな選手を集めて総当りさせて、優勝した人はタイトルマッチに挑戦できるご褒美つきのリーグです。

で、結果的にいうと1年間で1度も負けなかったんですけど、優勝できなかったんです。俺に負けた選手が優勝したんですよ。

途中までは俺が独走してて「岡田が優勝するだろう」と言われていたんですけど、12月の最後の試合で、まあ言うなれば消化試合みたいなところでまさかの大ゴケして引き分けちゃったんです。それで得失点差でぎりぎり1点足りなくて優勝できなかったんですよ。

それもまたきつい状況でした。

新人王も決勝戦で負けたし、インフィニティリーグも優勝決定戦で勝てなかった。勝たなきゃいけないところでいつも負けるから、プロとして応援してくれている人を裏切るのも、自分で自分の期待を裏切るのもきつい。

こんなきつい練習してきつい減量してコレかよ、と。

それでも、毎回好成績を収めていますよね?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

そうなんですけどね。俺はこのまま一歩手前でタイトルが獲れない男なんだと自分のことを思ってましたよ。

負けないで優勝できなかったのは今までで俺だけだと思います。本当にミラクルですよ(笑)

今になって思えば、修斗を普段から見ているお客さんからすればメチャクチャ面白い展開だったと思いますけどね。

その時はどう立ち直ったんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

本当に死ぬほど落ち込んだんですけど。

結局その時も鶴屋さんが「最後に修斗のチャンピオンになって笑えばいいんだよ」と言ってくれて。俺もこのままでは終われないと。

ここまでいろんな人に盛り上げて応援してもらって、期待してもらって、結果が出なかったから辞めるというのは無責任じゃないですか。

「このままじゃ終われない」という思いが、インフィニティに出たときは強かったですね。

最初に格闘技を始められた時は興味本位でしたよね。でも今では「このままじゃ終われない」と思うほどプロ意識もを持っていらっしゃる。

大島
大島
岡田さん
岡田さん

そうなんです。途中から選手路線にぐいぐい引き込まれていきました。

「周りの人に申し訳ない」といった思いを抱いていらっしゃいますもんね。

大島
大島
岡田さん
岡田さん

その時はそう思ってましたね。その時は。

今は違うんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

違いますね。

今ももちろん応援してくださる方々には感謝しかないですけど、周りの評価とかを理由にして格闘技はやってないですね。

今は自分のため、というのが大きい。

デビューしたての頃はお客さんが盛り上がっているかなとか、楽しいのかなとか、俺を応援しに来てくれている人の反応を気にして、格好つけて大きい技を出していましたね。色気づいて練習でやったことない技してみたりとか。

今は自分のことだけ。自分が勝てばいい。

細かい技をたくさん出して相手の体力を削って判定勝ちになるような試合も、以前はみんなに気を遣ってできなかったですね。

今は俺が勝てばいいかなと思っています(笑)

とにかく勝つことが一番大事ですね。自分のために。

転換点はあったんですか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

インフィニティ(※一度も負けずに優勝できなかったリーグ)で負けてからも現役は続行して、なんだかんだで1回目のタイトルマッチまでこぎつけるんですよ。

もしここで勝てばチャンピオン、というところのタイトルマッチまでいって、それでまた負けたんですよ。

その時は大きいタイトルの挑戦が3回目で。新人王もだめ、インフィニティリーグもだめ。今回もだめ。なんで俺はあと一歩で勝てないんだろう、ということを考えた時に、周りの人の顔色を伺いすぎて戦ってたなと思い至ったんですね。

師匠の鶴屋さんに「試合内容なんかKOで勝とうがつまんない試合で勝とうが派手に勝とうが、あとあとネット上に残るのは丸かバツか。勝ちゃあいいんだ」と言ってもらったことがあって。

確かにのちのち死んでから100年後にネットの掲示板に残るのって、vs◯◯、丸かバツだけだからね。

外野を気にしていたところから、自分の内側を見つめる方へ変わったんですね。

大島
大島
岡田さん
岡田さん

そうですね。今自分が心から求めているのは「勝ち」だけです(笑)

楽しかったか否かはあとで付いてきますからね。

意識して楽しい試合をしようとしなくても、普通にやるべきことをやれば楽しくなってくるという自信がついたというのもありますし。

興味から初めて10年、続けられた秘訣は?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

師弟関係が濃いというのは大きいですね。

俺の中では鶴屋さんの存在が大きくて。10代のころから育ててもらって、いろいろ挫折もあったなか、ずっと良い距離感で見守ってくれました。

たくさん落ち込みましたけど、悪い時も「大丈夫だから」と言ってくれる心強い存在です。鶴屋さんに恩返ししないといけないなって思います。

鶴屋さんはとても素敵な方ですね。

大島
大島
岡田さん
岡田さん

すごい人ですよ。

1回目のタイトルマッチの時に、負けて意識がなくなってなかなか戻らなかったことがあって。

病院で検査したら、外傷性蜘蛛膜下出血だって言われて。今は命に別条はないけれど、今後は頭部に衝撃を受ける格闘技などはさせることはできないよ、とその場で事実上の引退勧告を出されたんですね。

その時に鶴屋さんが「お前が格闘技ができようとできまいと俺とお前の関係は変わらない。今から競技ができなくても、男として人として見ててやるから。大丈夫だから。」と言ってくれたんですね。

男気があって、ずっと10代の頃から背中で「男とはどうあるべきか」を教えてくれました。これは俺だけじゃなくて、選手全員に対して愛をもって育ててくれて。だから今うちの道場はとても強いんですよ。鶴屋さんの元にみんな集まってきているんです。

『ゴッドファーザー』みたいな感じです(笑)

今後目指していることはありますか?

大島
大島
岡田さん
岡田さん

今は修斗の環太平洋チャンピオンなんですけど、俺は修斗の世界チャンピオンになりたいです。これはベルトが別なんですよ。

実は現在、俺は修斗の世界ランキングで1位なんですよ。だから次の試合は環太平洋のベルトの防衛戦(※取材当時)なんですけど、勝てば世界の方に挑戦できます。できると信じてますね。

チャンピオンになったらランキングからは外れます。チャンピオンは別格なんですよ。

そうなんですね。岡田さんの夢、陰ながら応援しています。

長い間お時間いただきましてありがとうございました!

大島
大島
岡田さん
岡田さん

こちらこそ、ありがとうございました!

※参考:日本修斗協会公認サイト

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