生き方

リベラルアーツとは「問いを立てる力」である。日本の大学とアメリカのカレッジの教育は何が違う?

1983年生まれ東京都在住。青山学院中等部・高等部卒。 慶應義塾大学総合政策学部にて、国際政治学を専攻。 卒業論文で学部優秀論文賞(SFC AWARD)受賞。 2006年住友商事に入社し、海外駐在を含めた実務経験から 様々なビジネスの知見を得る。 現在、歴史を軸にしたコンテンツ作成者として活躍中。 冷徹な分析力で現代社会とビジネスを診断する。

リベラルアーツとは

リベラルアーツとはなにか。

日本語では「教養」と訳されることが多いですが、リベラルアーツの本来の意味は、私達が教養という言葉から一般的にイメージする語感とは異なります。

私達が「教養」という言葉を使う時、多くの場合は「知識量が多い」という意味で使っていると思います。しかし、リベラルアーツの本義は、「Liberal Arts=自由になる手段」なのです。

日本語の「教養」から連想されるような、「知識量が多い」という状態を直接的に指し示す言葉ではありません。

 

Brave Answer編集部では、このリベラルアーツ(=自由になる手段)を学ぶことの意義は、知識を手に入れること自体にあるのではなく、「問いを立てる力」を得ることだと考えています。

たとえばキャリアにおいても、終身雇用制が揺らぎ、新卒から3年目までに3分の1が転職する状況です。また、AIの登場により、「そもそも人はなぜ働くか」といったことについても考えを及ぼす必要もあります。

私たちは現代に生きる人間として、既成概念に束縛された考えから自由になる必要があります。

 

しかし、疑問を持つこともなく日々を漫然と過ごすだけでは、問いを立てることができません。そして、問いや疑問がなければ、本来解決すべきである課題が浮き彫りになることもありません。

課題が浮き彫りにならなければ、当然、解決への行動も生み出されずに、課題はただ先送りされていくだけとなってしまいます。

キャリアに対する問いは何か。社会に対する問いは何か。その技術革新が世に与える影響とは何か。

こういった「問い」を立てるために、リベラルアーツがあなたにとって大きな助けとなるでしょう。

 

詳しく説明していきますので、まずはリベラルアーツの歴史から紐解いていきましょう。

 

リベラルアーツの歴史を知る

リベラルアーツの概念は古代ギリシアで生まれました。当時は、人間を呪縛から解放するための知識や、生きる力を身につけるための手法を指していました。

この概念は古代ローマへと受け継がれ、言語系3学と数学系4学で構成される自由7科目として定義されました。

その後、自由7科目となったリベラルアーツの概念は17世紀のイギリスを経由してアメリカに伝わります。

 

現在、リベラルアーツが学ばれているアメリカのリベラルアーツカレッジでは、少人数制による基礎的な教養と論理的思考力の習得に重点を置いています。

リベラルアーツは人としての根幹部分を作る学びであり、専門の学科や職業課程とは区別されているのです。

 

ギリシャ・ローマ時代「自由7科」

古代ギリシアで生まれ、古代ローマに受け継がれた際に定義された自由7科目は、セブンリベラルアーツと呼ばれます。

言語系3学(文法・論理・修辞)と数学系4学(算術・幾何・天文・音楽)で構成され、その時代に奴隷ではなく自由人として生きるための学問として学ばれました。

リベラルアーツの「リベラル」とは「自由」という意味です。

 

アートとサイエンス

アートとは何か

リベラルは自由を指しますが、それではアーツとは何なのでしょうか。

まず、アメリカでは、学問をアートとサイエンスに大別しています。

大学を卒業すると学士(Bachelor)がもらえますが、アメリカの大学を卒業して授与される学位には、専攻した科目によってBA(Bachelor of art)かBS(Bachelor of science)のどちらかが与えられます。

 

アーツは「arts」と書きます。単数形なら「art」。日本では、アートの翻訳語として「芸術」という言葉を当てました。科目で言えば、美術や音楽が当てはまります。

しかし、artの本義はどちらかと言うと「諸芸」に近いです。

「芸術」という言葉は「芸」と「術」から成ります。つまり、芸能と技術です。これには、踊りなどの私達がイメージする芸術から、鍛冶職人の熟練の技まで含まれています。

 

欧米では、文学や歴史、哲学、美術、建築、音楽、全てアートです。

 

歴史がアートに含まれるのは、私達にとっては違和感がありますが、これはアートに対する捉え方が日本とアメリカで違うからです。

artの対義語はnature、つまり自然です。

アメリカの感覚では、natureは”things God made”、つまり神様が創ったもの。反対にartは”things humans made”、人間が作ったものを表しています。

歴史は人間が作り出したものですので、アートに含まれるのです。

前述した文学や歴史、哲学、美術、建築、音楽などの学問は”humanities”と言われています。

 

サイエンスとは何か

それでは、サイエンスとはなんでしょうか。

サイエンスとは「nature=神が創ったもの」を研究することです。つまり学問におけるサイエンスとは、この世の人間が作ったもの以外の全てを学び、研究することです。日本の「科学」「理科」という概念とは違うことがわかります。

 

サイエンスは大きく2つに分かれます。「natural science(自然科学)」と「social science(社会科学)」です。

自然科学は、自然現象が対象です。社会科学は、自然界の一部としての人間社会を対象にしています。そのため、心理学も経済学も社会科学に属しています。

日本ではどちらも文系扱いですよね。

 

artは「作る」もの、scienceは「解き明かす」ものです。

チャップリンが「作った」喜劇はart、自然数の関係を「解き明かした」フェルマーの最終定理はscience。

人間が作るものは全てartであり、神が創ったものを解き明かすのがscienceなのです。

 

アートとサイエンスの言葉の使い方は、日本とは根本的に違うことがわかります。

 

一般教養とリベラルアーツの違い

日本と欧米の学問体系

日本では、大学に入るときには学部ごとに入学試験を受ける必要があります。

一方でアメリカの大学は、大学そのものに出願して入学し、日本の学部にあたる専攻(メジャー)を決めるのは2年生のタイミングです。

メジャーを決めるまでにリベラルアーツを学びます。

 

日本では社会にでるときに、一般的には大学名と比較して学部名は重要視されません。一方のアメリカで大切にされているのは、大学名ではなく専攻です。

社会における重要度は、「何を学んできたのか」が最も重要で、学位、大学名の順番に重要度が薄れていきます。

 

日本では、社会や企業で役に立つことが重要です。

そうである以上、大学で学ばなければならないのは社会や企業で役立つ知識です。そのため日本では、リベラルアーツを学ぶ期間が設けられておらず、社会や企業に役立つ専門知識をつけるべく最初から専攻に出願する形式となっています。

そこで学べるのはリベラルアーツではなく日本の社会に必要な一般教養です。

 

教育の質を図る世界基準もできはじめている

同じ大学卒でも、アメリカの大卒と日本の大卒は同じでしょうか?イギリスの大卒、中国の大卒、インドの大卒は、全て同じ評価でいいのでしょうか?

日本では文系扱いの経済学がアメリカでは理系扱いになるような状態では、特にグローバル企業が人材を評価するのが難しくなっています。

 

そこで、各国の大学を比較した世界基準が必要になりました。現在この動きが急速に進んでおり、民間機関や国際機関を中心にガイドラインづくりが行われています。

例えば、ユネスコやOECDなどが主導した「大学の国際的な認証評価制度」や、「THE世界大学ランキング」などがあります。

日本の大学はこのランキングの順位が低く、上位20校はほぼ欧米の大学となっています。これは、日本の教育が欧米と異なっていることが要因の1つに挙げられます。

つまり、比較の方法がないのです。

 

ここまでに確認してきたように、日本の教養と欧米のリベラルアーツは似て非なるものです。

日本の教育は、世界基準から取り残されつつあります。

 

リベラルアーツの必要性は?

これまでの日本では、「とにかく言われたことをやる」ということが評価されてきました。高度経済成長期には仕事をすればするだけ成果が出たので、言われたことを言われたとおりに行うことが最も大切だったのです。

会社は親会社や元請けの言うことを聞き、地方自治体は国や県の言うことを聞くだけでした。

しかし、時代が変わりました。今ではグローバルな競争力が必要となり、年功序列制は崩れ始め、終身雇用は崩壊しました。

これまでのモデルがなくなっていく中で、私達は自分の頭で考え、自分の人生を自分で切り開かなければなりません。

そのときに必要なのがリベラルアーツなのです。

 

新しい価値を想像し創造する

リベラルアーツを身につけることで、常識を疑うスキルが身につきます。

なぜなら、例えば哲学を学ぶことで「なぜ人間は存在しているのか」という、一見当たり前のことを疑い、考え続ける必要があるからです。

 

疑うことが出来る、というのは、ビジネスでは大きな武器です。

例えば、パソコンには入力機器と記憶媒体が必要だ、という常識を疑ったAppleは、iPadを開発しました。新しいものを生むイノベーションは、常識を疑うことから始まるのです。

 

専門分野をいくら身につけても、リベラルアーツを身に着けていなければシステムに組み込まれる歯車にしかなりません。いずれAIに代替されてしまいます。

そして、歯車にしかならない人は、リーダーシップを取れる人にはなれません。

リーダーシップを取れる人は、現状のシステムを改革するイノベーションが出来る人です。そしてイノベーションを生むためにはリベラルアーツが必要です。

イノベーションとは新しい価値を創造する力であり、この力を持つ人はたとえAIが台頭したとしても必要とされ続けます。

つまり、これからの社会に必要となる人材はリベラルアーツを身につける必要があるのです。

 

「役に立つこと」と「より良い世界を創ること」

アメリカと日本の学問体系の違いについてまとめた際に触れたように、日本の大学では「社会や企業の役に立つかどうか」が重要視されます。

その方が大学の就職率などの評価をあげやすいからです。

ただその場合、社会や企業からのニーズに応える人材を輩出することが目的となってしまい、ニーズに応えられていればそれでいい、ということになってしまいます。

 

ところが、世界の大学ランキングで上位に入るような大学は、「21世紀をより良くするために」というような目的を標榜しています。

この目標を目指すなら、ニーズを超えて「何が社会のためになるのか」を考え続ける必要があります。この問いを立て、考え続けることが、社会をより発展させていくのです。

ニーズに応えるだけでは、よくても現状維持。それ以上にはなりません。

 

常識を疑い、問いを立てる力は、リベラルアーツを学ぶことで身につけることができます。

キャリアに対する問いは何か。社会に対する問いは何か。その技術革新が世に与える影響とは何か。

リベラルアーツは、これからの世界を生きるために、そしてその世界をより良くしていくためになくてはならないものなのです。

 

リベラルアーツの学び方は?

それでは、リベラルアーツはどのようにして学べばいいのでしょうか。

既に大学を卒業し、社会人として日々目の前の業務に追われている中、なかなか学び直すことが難しいのが現状だと思います。思い切って会社を辞めて、リベラルアーツを学ぶために留学や国内大学へと入り直さなければならないのでしょうか。

あるいは分厚い西洋哲学の本を古代ギリシア哲学のソクラテスからひも解いていく必要があるのでしょうか。

リベラルアーツを学ぶためには、必ずしもそういったことをする必要はありません。リベラルアーツとは前述したとおり「考え方」「問いを立てる力」を養うことですから、

  • 日常生活から物事の成り立ちや背景に思いを馳せること
  • 好奇心をもって仕事に取り組むこと
  • 少しでも業務を改善、効率化させること

を意識することが、リベラルアーツ的な思考法を手に入れる第一歩なのです。

Brave Answer編集部としてのおすすめは、漢字の成り立ちを学ぶことです。

少し業務から距離がありつつ、身近なものである「漢字」の成り立ちについて学ぶことも、立派なリベラルアーツの学びとなってきます。

例えば、「道」という漢字は「シンニョウ」+「首」で成り立っていますが、シンニョウとはどんな意味があるのでしょう。なぜ道に「首」が含まれているのでしょう。

小学生も知っている漢字でも、分解するとよくわからない点があります。これらの「なぜ」に対して考えを張り巡らせることが、リベラルアーツ(自由になるための手段)的な思考をはぐくみ、自由な発想力の源泉となってきます。

日本人として日頃触れているけど、意外とその実像を知らない「漢字」はまさに、リベラルアーツを学ぶ第一歩として、最適な教材といえるでしょう。

リベラルアーツカレッジという手段も

よりリベラルアーツに興味をもって、もっと本格的に学びたいと思ったならば、海外のリベラルアーツカレッジへの留学を検討してみてはいかがでしょうか。

リベラルアーツカレッジはアメリカにあるカレッジ(単科大学)なのですが、名門総合大学よりも高い評価を得ているところもあります。

果敢に女性初の米国大統領を目指したヒラリー・クリントン氏や、世界的名著『ダ・ヴィンチ・コード』の著者であるダン・ブラウン氏など、著名なセレブリティがリベラルアーツカレッジで学び、卒業しています。

また、日本でもリベラルアーツに力を入れている大学があリますので、アメリカへの留学が躊躇われるようでしたら、そちらも視野に入れてもいいかもしれません。

リベラルアーツカレッジについて、詳しくは関連記事にまとめていますので、併せてご覧ください。

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