生き方

安さを買うのではなく満足を買う

1984年生まれ。東京都在住。慶應義塾大学環境情報学部卒業。編集者。SSW。サウンドクリエイター。編集と並行して、歌もの/アートインスタレーションサウンド/ダンスミュージック等の音楽制作活動を行う。

先日、少し奮発して大衆向けではないイタリアンに行きました。

普段、私は大衆向けの店ばかりにいくので、そのお店のサービスの良さに不覚にも驚いてしまいました。

当たり前といえば当たり前なのですが、金額に見合った価値ということについて少し考えさせられるものがありました。

 

その価格帯のお店では当たり前のサービスだとは思いますが、私が大衆店との違いに驚いたサービスを説明します。

まず店に入ると、係りの人がコートを預かりに来てくれます。

メニューの説明も丁寧で、「本日のオススメ」「今日どんな旬な食材を仕入れているか」「肉料理の仕上がりの時間」「注文したものを提供する順番」などきめ細かいものです。

ワインのグラスが開き始めるとさりげなく「お注ぎしますか」と声をかけるなど、大衆店ではありえないサービスです。

 

きわめつけは、食事を終えて店の外に出るときに「ホッカイロお持ちですか?」と寒い季節にありがたいホッカイロをいただきました。

食事はもちろん、サービスにおいても「行ってよかった」と思わせてくれるお店でした。

 

普通、価格は原価、人件費などの「コストの総和」+「市場」で決まると言われています。

その上で、私がイタリアンレストランで感じた「心理的な適正価格」について考えてみます。

例えば、

  • これしか払っていないのにとても満足した。
  • こんなに払っているのに見合っていない。

ポジティブとネガティブとで両極に見えますが、心理的な適正価格という視点では両方とも疑問が残ります。

前者は、お金をもらう側が満足と金額の差分を得られておらず、後者は、逆にお金お払う側が期待している分のサービスを得られていないからです。

 

私がイタリアンレストランで感じた適正価格は、

  • お店「これだけの金額は頂戴いたしますが、その分のサービスを提供できますよ」
  • 私「満足した分のお金をお支払いします」

このバランスがとても適正な価格設定なのです。

安いわけではなく、こちらもそれなりにお金を出したい満足感という感覚がとても適正だと感じたわけです。

 

では、普段からすべての人が消費者として、売る側の満足を考えた適正価格を意識しているかといえばそうではありません。

マーケットなどでの値切り交渉を見てもわかる通り、消費者としては、「これしか払っていないのにとても満足したという状態」を志向しがちです。私も、安いものを見つけようとネットサーフィンをしたりしています。

インターネット時代になって、同じ商品でも相対的に安いものを見つけやすくなっている時代なので、より一層です。

この事が悪いと言っているわけではありません。

 

ただ、少しでも安いものをという考え方「だけ」では「お金が中心にあり、お金が主体」の消費活動になってしまう恐れがあります。

少し奮発してでも、自分の満足に対して対価を払う習慣をつけることが、より「満足が中心にあり、自分が主体」のお金の使い方に近づけてくれるのではないでしょうか。

 

そのためにもキャリアを考えることは大切ですね。

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