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空気を読まないことは強みでもある

1984年生まれ。東京都在住。慶應義塾大学環境情報学部卒業。映画、音楽、読書をこよなく愛す編集者。ビジネスについて勉強中。

先日、NHKでずいぶん前に放送された「忌野清志郎、ゴッホを見に行く」という番組を見ました。

忌野清志郎氏は、ラブソングから社会問題まで独特の歌声と視点で切り取り、多くの人々を魅了してきたバンドマンです。

番組はゴッホに大きな影響を受けてきたという忌野氏が、岩手県立美術館で開かれた「ゴッホ」と「ミレー」の展覧会に出かけ、はじめて生でゴッホの絵を見るという内容です。

 

そこで印象に残ったのが、ゴッホを見た忌野氏がちょっと「がっかりした様子」だったことです。

私も「忌野清志郎がゴッホを見て何を語るのか」ということを当然期待して番組を見ているわけですが、「ゴッホはそうでもないねぇ」という雰囲気なのです。

番組の企画としても拍子抜けな雰囲気がある中で、忌野氏は、それまでまったく興味がなかったミレーに感動したという感想を漏らしていました。

これまでの自分の中の蓄積から「ゴッホがどれだけすごいか」ということも言えたはずですが、そんなことは語らずに正直に「今見て感じたこと」が漏れてしまったのです。

 

忌野氏の一見空気を読めないともみえるこの姿勢、実はいろいろなことに学びのある姿勢なのではないでしょうか。

何がかといえば、忌野氏が自分の「目」で物事を判断しているという点です。

 

ふと、私自身はゴッホを見てどんなことを言うだろうと考えてみます。

実際に対峙してみないとわからないですが、ひとつ言えることは今の時点で私の中にゴッホに対する価値判断の要素がないということです。

 

「ゴッホの生涯がどうだった」「耳を自分で切り落としたエピソード」「どれだけ芸術に賭けていたか」という受け売りの知識はあります。ただ、「自分にとってのゴッホ」は私の中には存在していません。

これまでもゴッホの絵を見たことはありますが、その絵自体から「自分自身は何を感じたのか」という蓄積がないことに気がついたのです。

つまり、私はゴッホの絵を見ていたようで、(自分の「目」で)まったく見ていなかったわけです。

 

忌野氏は、ゴッホの絵と向き合い、自分の「目」で見る事をしていたからこそ「自分にとってのゴッホ」が存在し、ふと「自分のゴッホとは違う」という感想を持てたのはないでしょうか。

 

このようなこと、絵画鑑賞に限らず、ビジネスの中でもあると思います。

物事や人には「評判」や「肩書き」など社会的に判断する外的な要素が必ずあります。とても大事な要素ではありますが、それだけでその物事自体をつかめるとは限りません。

しっかりと自分の「目」で向き合わなければ見えないものがあります。

 

見ているようで、本当は自分の「目」で見ていないことがどれくらいあるでしょうか。

 

外的な要素は当然誰もがアクセスできる価値基準です。

しかし、自分が実際にそのものに触れて自分の「目」で得た価値基準は、誰もがアクセスできるわけではありません。深く付き合ったり、しっかりと向き合わなければ得られないものだからです。

 

自分の「目」で見た、誰もが簡単に知ることができない確かな情報をもとに行動ができれば、その人独自の選択や視点を獲得できるのだなと思った次第です。

「空気を読まない」とは自分独自の価値と視点を持っていることとも言えるのではないでしょうか。

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