オピニオン

尊敬している人

1984年生まれ。埼玉県立川越高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。リクルート、グーグル日本法人を経て2016年に独立。自社メディア運営をしながら、顧客のマーケティング支援、人材育成、採用支援を行う。専門はマーケティング、広告、営業。

尊敬している人が何人かいる。

 

この記事では、中学校のときの先生について書く。誇張はしないが、20年程前のことなので、美化はされていると思う。

この記事を通じて伝えたいことは、

1. 言葉の威力
2. 人は、一人でも自分を肯定してくれる人が近くにいれば、変われる
3. 私は先生のようになることを目標にしている

の3点だ。

 

不満、不安に満ちた中学時代

中学生のときの私は、不満ばかりだった。

 

勉強もスポーツもそこそこできたが、1番ではなかった。

好きな女の子と付き合ったこともあるが、すぐにフラれた。

身長も期待していた程は伸びなかった。

 

不満な気持ちをどこかにぶつけたかったのだが、先生に反抗するほどの度胸はない。

悪さをして親を悲しませるのも忍びない。バンドを組むとか、非行に走る、とかでもない。

不満があるのに、それを表現することすらも怖い。

 

自分に自信がなかった。

いま思えば、とてもツラい時期だった。

 

先生がしてくれたこと

先生は当時、40代後半の男性。ずんぐりむっくりな体型でまんじゅうみたいな顔。とにかく元気。エネルギーに満ち溢れている数学教師だ。

 

この先生は、私を肯定してくれた。

「宏樹はすごい!天才!」

何回この言葉を言われたか、わからない。

 

最初はやめてほしかった。とにかく恥ずかしかった。何事にも1番じゃない私が天才ではないことは、客観的に証明されていた。

それでも構わず、先生は続けた。

「宏樹はすごい!天才!」

と、会う度に言われた。

 

「なんでこんな難しい問題が解けるの?」

他にも解いてる人、いるよ?

「なんでそんなにサッカーがうまいの?」

どう考えても、あいつらの方がうまいけど?

 

基本は「なんでそんなに◯◯なの?」構文で話を振ってきて、最後に「宏樹はすごい!天才!」で締める。この繰り返し。

日々繰り返されるやりとりに、途中から否定するのをやめた。正確にいうと、否定ができなくなっていった。正直に告白すると、この頃の私は「もしかしたらオレ、天才なのかも」と思いはじめていた。

中学2年生だった。

 

人生が変わる挑戦を支援してくれた

「川越高校に行くと、宏樹の人生は変わる」

進路選択の時期には、先生の話のバリエーションが増えた。

「よい仲間に出会えるから」というのが、その根拠だった。

 

川越高校は地域で一番の進学校。制服がなく、私服で通える高校。そりゃあ行きたいけれど、私には無理だろうというのが客観的事実だった。

当時(今も?)の埼玉の中学生は「北辰テスト」という統一テストを受ける。中学2年生の終わりに受けたときの私の偏差値は、62。

 

「この成績では川越高校には行けない」と先生にもはっきりと言われた。

 

どうしたら川越高校に行けるのか質問したら、先生は、「じゃあ、先生が勉強を教えちゃろう」とニッコリ笑って言った。

そんなやりとりを通じて、私の受験勉強がはじまった。

 

特別扱いの一年間

部活を終えて学校から帰ると、先生が車で迎えに来て、また学校に行く。

誰もいなくなった職員室で勉強。

 

職員室が使えない時は、先生の車の中で勉強。土日も先生が迎えに来て勉強。

中学3年生のときは、これを一年間、別で通っていた塾がない日はほとんど毎日付き合って頂いた。

 

公立中学の教師が、そこまでしてくれるのか。していいのか。えこひいきというか、そういうレベルではない特別扱いをしてもらった一年間だった。

 

先生の言うとおり、人生が変わった

毎日勉強した結果、「北辰テスト」における偏差値は62から75まで上がり、無事に川越高校に合格した。

「宏樹は天才なんだから、絶対に合格する」

「宏樹は1番で合格する」

「これだけ勉強したのだから、落ちる方が難しい」

「宏樹が落ちるなら、それはもう川越高校じゃない」

最後のは、ちょっと違う気もするが、中学3年生の一年間は、毎日こんなことを言われて過ごした。

 

川越高校に入ったら、先生の言うとおり、よい仲間に出会えた。いまの私の根底にある価値観や考え方は、ほとんどがこの仲間たちとの出会いによって形成されている。

川越高校に入ったら、私の人生は変わった。先生の言うとおりの結果になった。

 

諦めかけたときに感じた言葉の威力

一度だけ、川越高校に入るのを諦めたことがあった。志望校を最終決定する前日のことだ。

 

1年間毎日勉強をしていたので、疲れきっていた。周囲には「えこひいき」に批判的な人もいた。あの先生は狂っていると、先生を批判する人もいた。

公立高校に落ちたら私立高校に通うことになるので、親に金銭的な迷惑をかけることになる。

 

よし。もういいだろう。川越高校は諦めた。

勉強したことが無駄になるわけじゃないから、1つレベルを落とした公立高校でトップを目指そう。我ながらよく頑張った。

 

夜中に起きて、泣きながら提出書類を書き直していると、頭のなかで先生の声が聞こえた。

 

「宏樹はすごい!天才!」

「宏樹は天才なんだから、絶対に合格する」

「宏樹は1番で合格する」

「これだけ勉強したのだから、落ちる方が難しい」

「宏樹が落ちるなら、それはもう川越高校じゃない」

 

毎日言われている言葉は、洗脳なんていうレベルを超えていた。脳に物理的に何かを埋め込んだレベルで、頭から離れない。

どれだけ自分自身が否定をしても、ネガティブな気持ちになっても、先生の声には勝てなかった。落ちることが怖くて逃げだしたくなった自分を、そこにはいない先生の言葉が引っ張ってくれたのだ。

あのとき提出書類の書き直しが完了していたら、私の人生はまったく違ったものになっていたと思う。

 

先生のような人になる

冒頭でお伝えした通り、この記事を通じて伝えたいことは3つある。

 

1つ目は、言葉の威力。

言葉に触れれば触れるほど、たとえそれが真実でなくても、人はその言葉に影響を受ける。

その威力は、メッセージの仕方、伝え方や頻度で、どんどん強くなる。

強いメッセージは、20年たったいまでも、鮮明に思いだすことができる。

今回はポジティブな影響のはなしだが、ネガティブな影響も然り。

 

2つ目は、人は、一人でも自分を肯定してくれる人が近くにいれば、変われる。

不満と不安にまみれた中学生の私は、一人の先生の存在によって、多くの素晴らしい人に出会うことができて、人生が変わった。

正確に表現すると、一人の先生の存在によって、自分を肯定することができて、行動する勇気を持つことができて、人生を変えうる行動ができるようになった。

 

3つ目は、私自身、先生のような存在になりたい、ということ。

大人になればなるほど、あの頃の特別扱いは、いろいろな意味でヤバかったことがわかる。同じレベルのことを先生にお返ししようにも、いまの私にはできない。そもそも断られてしまう。

だったら、この恩は、社会にお返しするしかない。自分が受けた恩を、社会にお返しすることが、先生への本当の意味での恩返しになるはずだ。

 

勇敢な決断を支援する存在になる

先生は、勉強と進路指導を通じて、私を支援してくれた。

私は、私の問題意識と専門領域を通じて、誰かを支援することで、社会に貢献しようと思う。

 

ちなみに、高校の成績は常に下位10〜30%だったので、自分は天才ではないことは、高校入学早々にわかった。人生は変わったが、その意味では、ツラい3年間だった。

 

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