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2017.11.9
2017.11.9
尊敬している人が何人かいる。
この記事では、中学校のときの先生について書く。誇張はしないが、20年程前のことなので、美化はされていると思う。
この記事を通じて伝えたいことは、
1. 言葉の威力
2. 人は、一人でも自分を肯定してくれる人が近くにいれば、変われる
3. 私は先生のようになることを目標にしている
の3点だ。
中学生のときの私は、不満ばかりだった。
勉強もスポーツもそこそこできたが、1番ではなかった。
好きな女の子と付き合ったこともあるが、すぐにフラれた。
身長も期待していた程は伸びなかった。
不満な気持ちをどこかにぶつけたかったのだが、先生に反抗するほどの度胸はない。
悪さをして親を悲しませるのも忍びない。バンドを組むとか、非行に走る、とかでもない。
不満があるのに、それを表現することすらも怖い。
自分に自信がなかった。
いま思えば、とてもツラい時期だった。
先生は当時、40代後半の男性。ずんぐりむっくりな体型でまんじゅうみたいな顔。とにかく元気。エネルギーに満ち溢れている数学教師だ。
この先生は、私を肯定してくれた。
「宏樹はすごい!天才!」
何回この言葉を言われたか、わからない。
最初はやめてほしかった。とにかく恥ずかしかった。何事にも1番じゃない私が天才ではないことは、客観的に証明されていた。
それでも構わず、先生は続けた。
「宏樹はすごい!天才!」
と、会う度に言われた。
「なんでこんな難しい問題が解けるの?」
他にも解いてる人、いるよ?
「なんでそんなにサッカーがうまいの?」
どう考えても、あいつらの方がうまいけど?
基本は「なんでそんなに◯◯なの?」構文で話を振ってきて、最後に「宏樹はすごい!天才!」で締める。この繰り返し。
日々繰り返されるやりとりに、途中から否定するのをやめた。正確にいうと、否定ができなくなっていった。正直に告白すると、この頃の私は「もしかしたらオレ、天才なのかも」と思いはじめていた。
中学2年生だった。
「川越高校に行くと、宏樹の人生は変わる」
進路選択の時期には、先生の話のバリエーションが増えた。
「よい仲間に出会えるから」というのが、その根拠だった。
川越高校は地域で一番の進学校。制服がなく、私服で通える高校。そりゃあ行きたいけれど、私には無理だろうというのが客観的事実だった。
当時(今も?)の埼玉の中学生は「北辰テスト」という統一テストを受ける。中学2年生の終わりに受けたときの私の偏差値は、62。
「この成績では川越高校には行けない」と先生にもはっきりと言われた。
どうしたら川越高校に行けるのか質問したら、先生は、「じゃあ、先生が勉強を教えちゃろう」とニッコリ笑って言った。
そんなやりとりを通じて、私の受験勉強がはじまった。
部活を終えて学校から帰ると、先生が車で迎えに来て、また学校に行く。
誰もいなくなった職員室で勉強。
職員室が使えない時は、先生の車の中で勉強。土日も先生が迎えに来て勉強。
中学3年生のときは、これを一年間、別で通っていた塾がない日はほとんど毎日付き合って頂いた。
公立中学の教師が、そこまでしてくれるのか。していいのか。えこひいきというか、そういうレベルではない特別扱いをしてもらった一年間だった。
毎日勉強した結果、「北辰テスト」における偏差値は62から75まで上がり、無事に川越高校に合格した。
「宏樹は天才なんだから、絶対に合格する」
「宏樹は1番で合格する」
「これだけ勉強したのだから、落ちる方が難しい」
「宏樹が落ちるなら、それはもう川越高校じゃない」
最後のは、ちょっと違う気もするが、中学3年生の一年間は、毎日こんなことを言われて過ごした。
川越高校に入ったら、先生の言うとおり、よい仲間に出会えた。いまの私の根底にある価値観や考え方は、ほとんどがこの仲間たちとの出会いによって形成されている。
川越高校に入ったら、私の人生は変わった。先生の言うとおりの結果になった。
一度だけ、川越高校に入るのを諦めたことがあった。志望校を最終決定する前日のことだ。
1年間毎日勉強をしていたので、疲れきっていた。周囲には「えこひいき」に批判的な人もいた。あの先生は狂っていると、先生を批判する人もいた。
公立高校に落ちたら私立高校に通うことになるので、親に金銭的な迷惑をかけることになる。
よし。もういいだろう。川越高校は諦めた。
勉強したことが無駄になるわけじゃないから、1つレベルを落とした公立高校でトップを目指そう。我ながらよく頑張った。
夜中に起きて、泣きながら提出書類を書き直していると、頭のなかで先生の声が聞こえた。
「宏樹はすごい!天才!」
「宏樹は天才なんだから、絶対に合格する」
「宏樹は1番で合格する」
「これだけ勉強したのだから、落ちる方が難しい」
「宏樹が落ちるなら、それはもう川越高校じゃない」
毎日言われている言葉は、洗脳なんていうレベルを超えていた。脳に物理的に何かを埋め込んだレベルで、頭から離れない。
どれだけ自分自身が否定をしても、ネガティブな気持ちになっても、先生の声には勝てなかった。落ちることが怖くて逃げだしたくなった自分を、そこにはいない先生の言葉が引っ張ってくれたのだ。
あのとき提出書類の書き直しが完了していたら、私の人生はまったく違ったものになっていたと思う。
冒頭でお伝えした通り、この記事を通じて伝えたいことは3つある。
1つ目は、言葉の威力。
言葉に触れれば触れるほど、たとえそれが真実でなくても、人はその言葉に影響を受ける。
その威力は、メッセージの仕方、伝え方や頻度で、どんどん強くなる。
強いメッセージは、20年たったいまでも、鮮明に思いだすことができる。
今回はポジティブな影響のはなしだが、ネガティブな影響も然り。
2つ目は、人は、一人でも自分を肯定してくれる人が近くにいれば、変われる。
不満と不安にまみれた中学生の私は、一人の先生の存在によって、多くの素晴らしい人に出会うことができて、人生が変わった。
正確に表現すると、一人の先生の存在によって、自分を肯定することができて、行動する勇気を持つことができて、人生を変えうる行動ができるようになった。
3つ目は、私自身、先生のような存在になりたい、ということ。
大人になればなるほど、あの頃の特別扱いは、いろいろな意味でヤバかったことがわかる。同じレベルのことを先生にお返ししようにも、いまの私にはできない。そもそも断られてしまう。
だったら、この恩は、社会にお返しするしかない。自分が受けた恩を、社会にお返しすることが、先生への本当の意味での恩返しになるはずだ。
先生は、勉強と進路指導を通じて、私を支援してくれた。
私は、私の問題意識と専門領域を通じて、誰かを支援することで、社会に貢献しようと思う。
ちなみに、高校の成績は常に下位10〜30%だったので、自分は天才ではないことは、高校入学早々にわかった。人生は変わったが、その意味では、ツラい3年間だった。
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