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2019.11.11
2019.11.11
デリダ(1930~2004)は、フランスの哲学者です。
1960年代後半から起こったポスト構造主義を代表する哲学者です。
デリダはどのような思想を持っていたのでしょうか。
まずはその思想の背景から見ていきましょう。
ポスト構造主義の出発点は1968年にフランスで起こった五月革命です。
五月革命は、労働者や共産主義と保守勢力の対立でしたが、より保守の体制を強化する形で収束しました。
この結果、労働者や共産主義者のイデオロギーの柱としていたマルクス主義が政治的に終わりを告げました。
デリダのポスト構造主義は、この政治的失敗を背景に考えらたのです。
ポスト構造主義とは、相対主義・懐疑主義的な思想です。
つまり、ポスト構造主義は、それまでの枠組みを疑って相対化する役割をになう思想ということです。
マルクス主義の政治的終焉を背景に、これまでの哲学や構造主義の思想が無力であることから、それまでの思想の批判を行ったといえます。
それまでの思想を無化するためにデリダが考えたポイントが
です。
この2つを理解すれば、デリダ、ポスト構造主義をおおまかにつかむ事ができます。
ひとつづつ見ていきましょう。
差延とは、
を合わせたデリダの考えた造語です。
差異とは、
のように違いを識別することです。
では「私は私です」と言ったときの
は同じでしょうか。
これまでも哲学では差異についての議論はありましたが、デリダはそこに時間的なズレの「遅延」の概念を取り入れました。
「私は」といった時の「私」と、「私です」といった時の「私」が同じではなく時間によって変化し続けていると考えたのです。
これを差延といいます。
「私は私です」という時、私は私の「差延」の「痕跡」を見ているとしたのです。
デリダはまず、哲学の大きなテーマとしてきた同一性の問題を差延という概念で疑いました。
私たちが使っている言葉自体に揺さぶりをかけたのです。
デリダは脱構築という方法論で、それまでの思想の批判しました。
脱構築は、中国の思想である「対極」によく似ています。
相反するものの中には、お互いの要素が入っているということです。
詳しく見ていきましょう。
それまでの哲学では二項対立によって物事を決め、それによって思想を構築してきました。
二項対立とは
など2つの対立するものです。
「男」であるということは「女」であるということを拒否しています。
つまり、「男」を定義するには「女」の要素をすべて排除しなければならず、その逆もしかりです。
このやり方によって西洋哲学は発展してきました。
しかし、それでは無意識のうちに切り落とされてしまう議論があるのです。
男女のことでいえば、「女は人形が好き」といった場合、意図せずに「男は人形に興味がない」という意味が含まれてしまいます。
このように哲学が依拠してきた二項対立に問題があるとデリダはいったのです。
人形が好きな男もいるように、様々な定義の裏には、その定義に相反する要素があるのです。
男女の人形の話は単純化しましたが、男の中には女の要素がありますし、女の中にも男の要素はあります。
これはまさしく「脱構築」です。
男女の構築を脱し、それぞれの要素の中に新しい要素を見出すのです。
このように、それまでの哲学や構造主義によって構築された言葉の意味を脱することが「脱構築」なのです。
それまでの哲学では、論理的整合生をめざして、あるテーマを批評したり、矛盾点を整合させたりして、議論を発展させてきました。
そしてデリダは、既存の哲学の絶対的なものに向かう性質は権力に優位なものだと批判するのです。
ポスト構造主義者が行う脱構築では、テーマを超越した言葉自体の問題を指摘するので、テーマを解決させるという必要がなくなります。
そして解体された言葉は、新たに意義を与えることができます。
これは、権力者の使う言葉や意味は絶対的なものではないという、個人を擁護する視点を与えました。
デリダの脱構築という考え方は、哲学、政治哲学、法哲学にとどまることなく、文学理論、建築などにも影響を与えました。
建築では、床、壁、天井などが垂直になるものだという建築では疑いようのない概念を脱構築するという流れができました。
奇抜な形の建築になり、見ているだけで面白い建築物です。
などがそうです。
文学分野では主に批評に影響を与えました。
脱構築での文学理論では、言葉ではその多義性の性質上、作者の完全な意図は伝わないと考えます。
文学の言葉の上では、作者の中にある唯一の意味や目的は表現されえないということです。
日本では、
などがいます。
デリダをみていくと、権威と戦うために有効な思想をいかに生み出すかということに主眼が置かれているように思えます。
絶対だと思っていることは、実は絶対ではないということを脱構築という方法論として現代の時代に示しています。
その方法論は大きな広がりを見せ、新たな可能性を提示しています。
私たちもある一定の常識の中で生きています。
常識を知るということは、社会人として必要なことではありますが、時に常識を破る決断も必要なことがあります。
そんな時に、哲学や脱構築は役にたつと考えます。
デリダを知って、また目の前の常識を眺めてみてはいかがでしょうか。