配慮

現場力とは?豊臣秀吉に学ぶ、自分の評価を上げるために知るべき2つの工程

1983年生まれ東京都在住。青山学院中等部・高等部卒。 慶應義塾大学総合政策学部にて、国際政治学を専攻。 卒業論文で学部優秀論文賞(SFC AWARD)受賞。 2006年住友商事に入社し、海外駐在を含めた実務経験から 様々なビジネスの知見を得る。 現在、歴史を軸にしたコンテンツ作成者として活躍中。 冷徹な分析力で現代社会とビジネスを診断する。
「お前は現場が分かっていない」こんなセリフを聞いたことがあるでしょう。「現場」という言葉を使うシーンは様々ですが、この「現場」という言葉をしっかりと区別して使っていますか。「現場」という言葉を状況に応じて区別して使い分けないと、上司や取引先の信頼を損ねてしまうかもしれません。豊臣秀吉はこの「現場」をしっかりと理解していたため、様々な場面で気の利いた行動をとっています。この記事では、豊臣秀吉に学ぶ現場力についてまとめました。

「現場」はどこにあるのか

【現場】

  1. 物事が現在行われている、または実際に行われた、その場所。げんじょう。「事故の―」「―検証」
  2. 実際に作業をしている場所。「―労働」「―の声をきく」
  3. めのまえ。まのあたり。実地。
  4. 直取引

広辞苑にはこのように記されています。

例えば自動車部品工場に材料を納入している業者にとっての現場は、自分が調達する材料の仕入先でしょうか。

それとも納入先の部品工場の生産ラインでしょうか。

下の図を見てください。

仕事は1番川上から流れてきて自分を通過し、川下へと流れていきます。

1つ隣の川上と川下は自分と直接接点がありますが、それ以降の川上と川下は間接的な接点しかありません。

真ん中を自分だとして、あなたに「現場のことが分かっていない」という人は、自分の1つ川下の工程を指して現場といいます。

一方で自分が上司に対する愚痴として「現場がわかっていない」という場合の現場は、上司から見て1つ川下、つまり自分のことを指しています。

現場というものは絶対的なものではありません。あくまでも「相対的なもの」です。

各自の職場、仕事に「現場」があると考えられます。

先ほどの自動車部品工場に材料を納品する業者にとっての「現場」は材料を扱っている場でしょうが、それは自分にとっての「現場」というだけです。

材料の仕入先には仕入先の「現場」があり、納入先には納入先の「現場」があるのです。

そして、それぞれの「現場」が大事だということは間違いありません。

 

現場を理解すれば評価が上がる

現場を大事にするということは、相手の立場にたって考えるということです。

自分と相対している人の1つ先の工程を考えて物事を進めようとすることが重要なのです。

そして、それは川下工程だけでなく川上工程にも当てはまります。

川下工程と川上工程、それぞれを理解して自分の業務に携わることができれば「現場を理解している」人間として重宝されます。

そして、その理解、つまりは把握している工程を広げていければ、より一層視野が広がり業務の奥行が深まります。

間接的な工程も理解することで、仕事全体の流れを「現場」として理解することができるのです。

自分の業務や自分自身を評価するのは、自分ではなく周囲です。

どんなに自己評価が高くても、独りよがりの仕事ぶりでは評価してもらえません。

上司や同期、スタッフや取引先の現場を理解することが「自分の評価」につながってくるのです。

 

現場を理解するための手っ取り早い方法

では、どうやったら「他人の現場」を理解することができるのか。

色々な方法があります。

1番手っ取り早いのはコミュニケーションです。もう少し具体的にいえば、インタビュー・ヒアリングでしょうか。

自分が直接コミュニケーションを取っている人から

  • その先の状況がどうなっているのか
  • 自分の業務の成果物がどのように取り扱われるのか

をインタビューしてヒアリングを怠らないことが、まずは大切な一歩だと思います。

もちろん、業種や業界によってはマニュアルや工程表があるところもあると思います。

筆者はタイに駐在していたときに、自分の川下工程の状況を理解するために部下たちの業務を理解すべくインタビューを繰り返しました。

業務中にもオフィスをぶらついで雑談をする時間を大切にしました。

その結果、自分が欲しかった情報が間接的な関わりのところからも入手することができるようになり、全体の風邪通しがよくなったのです。

 

豊臣秀吉の城壁修理と援軍要請に学ぶ現場力

ここで歴史上の偉人の現場力を覗いてみましょう。豊臣秀吉を例にします。

彼は若いころは木下藤吉郎と名乗り、羽柴秀吉、豊臣秀吉と出世しながら名前を変えます。

豊臣秀吉は彼がトップマネジメントになった際の名前です。

木下藤吉郎のときと羽柴秀吉のときから1つずつ彼の現場力をみましょう。

城壁修理

木下藤吉郎のときに城壁が崩れてしまいました。敵対勢力が攻めてくる危険性もあり、早急な再建が求められる状況です。

彼は自分から工事監督者に立候補します。失敗は許されません。

これまで城壁修理は、組織だっておらず、業務整理が行われていない状態でした。

誰がどこを修理しているか把握できないため、効率が悪かったのです。

藤吉郎は川下工程の作業場を細かく分けて、工事人夫をグループ分けしてそれぞれの作業場につかせました。

そして、最初に作業を完了したグループには褒美をたくさん与えることを約束します。

工事人夫のモチベーションはアップし、当初上司(織田信長)が想定していたよりも早く工事が完了しました。

その結果、敵対勢力が攻めこむ隙を与えませんでした。

これは、木下藤吉郎が川下工程では業務整理と工事人夫のモチベーション維持が問題ということを理解していたからこそできた対応といえます。

援軍要請

羽柴秀吉として信長の下で大名として活躍していたときのことです。

彼は中国地方で毛利家と戦っていました。戦は順調に推移し、織田家の勝利がほぼ確定したところで、信長への援軍を求めます。

自分の手柄としてすべて独占することを避けて、上司に花を持たせるための処世術でした。自分の功績が大きくなりすぎて、上司や同輩から妬まれることを避けようと試みたのです。

あまりにも功績が上がりすぎると、出る杭は打たれるように自分が追放される可能性があったからです。

実際に秀吉が天下統一した後、黒田官兵衛は優秀過ぎたために多くの領土を与えてもらえませんでした。出る杭は打たれるの典型例です。

羽柴秀吉は川上工程、すなわち上司である織田信長がどのように反応するかを理解していたため、このような行動ができました。

ただ皮肉なことに、このために一旦京都へと向かった信長は、本能寺の変で命を落とすことになってしまいました。

その後、非業の死を遂げた信長の跡を継いで豊臣秀吉として、天下統一を成し遂げることになります。

 

現場力はこうして学ぶ

豊臣秀吉は、川上工程も川下工程も理解していたからこそ、城壁修理や援軍要請に見られるような気の利いた行動を取ることができました。

豊臣秀吉のように現場力を身につけるためには、コミュニケーションを取ることが大切です。インタビュー・ヒアリングを行えば、短い時間で現場力を身につけることができます。

自分に現場力がないと感じている人は、川上工程や川下工程にいる人と積極的にコミュニケーションをとることをオススメします。

もし今後「現場」について何か言われたりしたら、その人にとっての現場がどこかを考えて、しっかりと理解できるようにしてくださいね。

 

この記事の筆者は、当メディアを運営するアクトデザインラボ社が開催する「ブレイブアンサープレイス」で講師を勤めています。

ブレイブアンサープレイスの詳細や日程は関連記事にまとめてありますので、合わせてご覧ください。

ブレイブアンサープレイスは本気でキャリアを考える場です。筆者以外にも様々な講師をお招きしてお話いただきます。

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筆者が登壇する回では、下工程と上工程、それぞれの現場を把握するために必要なことを過去の歴史上の偉人たちの逸話を交えながら、考えていきたいと思います。

ご期待下さい。





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