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2017.2.19
2017.2.19
2016年6月30日にフィリピンの新しい大統領であるドゥテルテ大統領が誕生しました。本名はロドリゴ・ロア・ドゥテルテといいます。
大胆な発言や行動、強権的な姿勢で話題になりましたが、元検察官という実は法律に通じた人物でもあるのです。
ただ、やみくもにめちゃくちゃな大統領であるという視点だけではドゥテルテ大統領をとらえることができないかもしれません。
ドゥテルテ大統領は、どのような人物なのでしょうか。生い立ちや、経歴、功績などを知ることで、ドゥテルテ大統領が誕生した背景が見えてきます。
ドゥテルテ大統領は1945年生まれで、2017年2月現在71歳です。
ドゥテルテはレイテ島のマアシン出身です。法律家の父(華人系セブアノ人)と学校の教師をしていた母(ミンダナオ島の先住民マラナオ人※多くがイスラム教徒)の間に生まれます。
幼少時に、のちに市長を務めることになるダバオ市に移り住みます。
ドゥテルテの生まれたレイテ島のマアシンは貧しい地方です。貧しい地域に生まれ、少数派の血を引いているということはドゥテルテの人格形成に大きな影響を与えます。
ドゥテルテは貧しい地域に産まれながら、法律家の父と教師の母のエリートといえる家庭で育ったのです。
この両極にも見える生い立ちは、現在のドゥテルテの行動を読み解くうえで欠かせないものです。
ドゥテルテは高校時代に2回、退学になった過去を持っています。その当時から悪名を馳せていたということですが、現在の行動をみるとうなずけます。
しかし、それだけではないのがドゥテルテです。
悪名を馳せ、いわゆるエリートの学歴を持っているわけではないドゥテルテはフィリピンでも難関である司法試験に合格しているのです。
ドゥテルテはマニラのリセウム大学の政治学部出身です。
リセウム大学はいわゆるエリートの通う大学ではありません。大学時代に特筆すべき点は、フィリピン共産党を創設するジョマ・シソンに学んだということです。
シソンは大統領選の時にもドゥテルテを支持するなど、現在にいたるまでドゥテルテに影響を与えています。
ドゥテルテが共産党との協力に積極的な姿勢をみせたり、自ら社会主義者を標榜するなどの左派のイデオロギーは大学時代に養われたといえます。
1968年に大学を卒業したドゥテルテですが、司法試験に合格したのは1972年です。その間に父が亡くなり、法律家の父と同じ道を歩むべく、サンベール法科大学院に進んだのです。
それまで、エリートといえる学歴を持っていたわけではないドゥテルテはここで、一念発起したと言えます。
ドゥテルテは司法試験に合格したのち、ダバオ市検察局に就職し、10年間検察官として働きます。検察官として第2副検事まで昇進し、その後政界に進出します。
ダバオ市長としての功績は次項にまとめますが、1988年にダバオ市長に当選してから、計22年ダバオ市長を務めました。
ドゥテルテが大統領になるにあたって、ダバオ市長時代の功績は欠かせないものでした。
ダバオ市に横行していた麻薬犯罪を撲滅したという功績ですが、一方でその強権的な方法に賛否があがっています。
ドゥテルテがダバオ市長時代にした大きな功績は、麻薬犯罪が横行していたダバオ市を治安安定地域にしたことです。
ダバオ市で麻薬犯罪が横行した背景には、官民が犯罪組織と結託していたということがあります。官民の腐敗はフィリピン自体の腐敗の象徴であり、ドゥテルテはここに切り込んで成果を出したのです。
しかし、社会に染み込んだ麻薬犯罪を一掃するためにドゥテルテは法律を超えた手段をとったことで批判も少なからずあがっているのです。
ダバオではドゥテルテの黙認のもと「ダバオ・デス・スクワッド」と呼ばれる反麻薬組織の自警団が活動しました。
麻薬犯罪者を見つければ、犯罪者を超法規的措置で私刑として殺害するということです。また、警察も同じように3000人以上の犯罪者を撲滅の過程で殺害したとされています。
警察の見解は、犯罪者を捕まえる過程で抵抗してきたので射殺したとしていますが、実際には自警団も含めて、法律を通さない処刑が横行していたとされています。
反対にいえば、そこまでしなければ官民が結託し腐敗した状況を変えられなかったともいえます。
しかし、ドゥテルテ自身も自らの手で犯罪者を殺害したと発言しており、殺人容疑がかかっている状態なのです。
ドゥテルテは厳格な規律で社会を統治する「強い国家」を志向していますが、現実ではドゥテルテ自身が法律を超えた手段で物事を進めてきています。
大統領に就任した現在、フィリピンという国家を建て直す過程での理想と現実のギャップをどのように埋めていくのかが試されています。
ダバオ市長時代には超法規的措置でダバオ市の治安を回復し、大きな功績を残したドゥテルテですが、大統領になった今、同じような方法で突き進めるかはわかりません。
外交でも、その手腕に期待する声もあがっています。
強権的な姿勢の一方で、弱者にたいする寛容な姿勢も忘れてはいけません。
やみくもに動いているのではなく、左派的なイデオロギーを背景に目的のためには手段を選ばないといった印象です。
今後、どのようにドゥテルテが存在を示していくのかに注目が必要です。