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2019.11.11
2019.11.11
いつもご覧いただきましてありがとうございます。BraveAnswer編集部です。
今回はソクラテスをご紹介します。
ソクラテスとは、古代ギリシアの哲学者です。
哲学とは、すべての物事に「なぜ?」と疑問を投げかけ考えていくことです。
ソクラテスは
ということを考える倫理学をはじめて行った人物といわれています。
ソクラテスは著作物を残していません。
著作によって残された文章が一人歩きすることで、誤った思想が広がることを嫌っていたからだといわれています。
しかし、ソクラテスには
といった現在でも有名な弟子がいました。その弟子らの著作によって、その思想が知られています。
現在でも発行されている
などでソクラテスの思想に触れることができます。
ソクラテスは紀元前469年頃に、ギリシアのアテネで生まれます。
父は彫刻家とも石工ともいわれるソプロニコス、母は助産婦のパイナレテだといわれています。
ソクラテスの生きた時代は、アテネ民主制が花開いた時代でした。政治家としては、ペリクレス将軍が活躍した時代です。
ソクラテスは青年期を政治が安定したアテネで過ごし、自然科学などの学問に触れます。
政治的に安定していたアテネでしたが、ソクラテスが40歳になろうとするときに、戦争が起こります。
アテネとスパルタのギリシア主導権争いであるペロポネソス戦争です。
ソクラテスも自前の武器で、重装歩兵としてアテネのために従軍しました。
50歳になるまでに3度の従軍をしたといわれています。
有力な政治家・将軍であったペリクレスがが死去し、さらにアテネではペストが流行します。
ペストは深刻な伝染病で、人類の歴史でも何度か大流行し、大量の死者を出しています。
そんなペストがアテネに直撃し、隆盛を誇ったアテネも徐々に衰退の道をたどることになります。
アテネは短期間の中で有力な政治家のもと、隆盛を誇りながら戦争を経験し、都市の衰退をも経験しています。
ソクラテスはアテネ激動の時代にアテネで活躍した哲学者といえます。
歴史的にみても激動の時代には偉大な哲学者が登場するといわれていますが、ソクラテスもそのひとりといえます。
ソクラテスの思想をみていく前にソクラテスの名言を見てみましょう。
ソクラテスの思想や人柄をイメージしやすいかもしれません。
よりよく生きる道を探し続けることが、
最高の人生を生きることだ。
幸福になろうとするならば、
節制と正義とが自己に備わるように
行動しなければならない。
ねたみは魂の腐敗である。
自分自身が無知であることを
知っている人間は
自分自身が無知であることを
知らない人間より賢い。
ソクラテスには「アポロンの神託」という有名なエピソードがあります。
弟子のカイレフォンがデルフォイにあるアポロンの神託所を訪ねます。
神託所とは神の意志を伺う場所です。
カイレフォンが
「ソクラテスよりも賢いものはいるか」
と尋ねると
「ソクラテスよりも賢いものはいない」
と返ってきます。
つまり、神がソクラテスよりも賢いものはいないといったということです。
今考えると信じられないかもしれませんが、当時はまだ神と現実が今よりも切り離されていない時代だったのです。
この荒唐無稽にみえるエピソードは、ソクラテスの有名な「無知の知」の概念にも重要な位置を占めるエピソードなのです。
ソクラテスと聞いて、「無知の知」は知っているという人も多いのではないでしょうか。
当時のアテネにも、賢者とされる知的に尊敬されている人がいました。
賢者とされる人は自分の専門とする分野や雑学には確かに長けていました。
しかし、ソクラテスはそこに新しい視点を入れます。
それは人間が生きるうえで本当に大切な
という視点です。
簡単にいえば「生きるとはなにか」という視点です。
答えのない、誰もこれだという答えを知ることのできない問いです。
ソクラテスは、賢者とされる人々は自分の分野で物事に詳しいからといって何でも知っている気になっていると批判します。
そしてソクラテス自身は
から、他の賢者よりも賢いのだと宣言するのです。
これが「無知の知」なのです。
まるで、アポロンの神託を自分で証明しているようです。
このように倫理学は始まりました。
ソクラテスは他にも、様々な概念を残しています。
ソクラテスの考え方は現代のビジネスにも有効なものです。
ソクラテスの考えでは、人間が罪をおかすのは徳が少ないからとしています。
ソクラテスは、正しい知恵を持っていれば罪を犯すことはせず、正しい知恵を持つことは、徳を持つことであると考えました。
つまり「知恵=徳」ということです。
ソクラテスは自分の考えを人に伝えるために問答法という方法を使いました。
自分のいいたいことを一方的に喋っても相手には届きません。
ソクラテスは相手の意見を十分に聞いて、その中で矛盾点を問いました。
相手が自分自身で自分の考えを整理し、矛盾を発見できるようにすることで、ソクラテスの考えを相手自身が納得できるようにしました。
ソクラテスは、中世・近代に展開していく社会契約論の原型を残したといわれています。
それは、プラトンの『クリトン』の中に見ることができます。
死刑を待ち勾留中のソクラテスに、弟子のクリトンが逃亡を促しに説得しにくるというストーリーです。
説得しようとするクリトンにソクラテスは
とし、クリトンの説得を退けます。これが社会契約論の原型だとされています。
このように見ていくと現代のビジネスにもつながる論理的な考え方を取っていることがわかります。
ソクラテスの生涯を見ても、自分の主張を通すための姿勢は学ぶべき点が多いことがわかります。
ソクラテスは、自分の一連の考えをどんなに立派な地位の人にも、問答法を通じで展開していきます。
それは自身の考えを広めていくためです。
そして、権力者はソクラテスの問答にやり込まれていきます。
そんな姿は若者には痛快に見えました。
そんなソクラテスの姿勢に権力者は反感を覚え、ついにソクラテスは死刑になってしまいます。
ソクラテス、70歳の時でした。
ソクラテスは最後まで、自身の得た真実に忠実だったのです。
ソクラテス最後の様子は
に記されています。
ソクラテスの姿勢はビジネスにも十分役にたつものです。
ソクラテスの思想に触れてみてはいかがでしょうか。