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2017.1.6
2017.1.6
世界最古の企業は578年創業の大阪市にある金剛組という建設会社です。
578年というと飛鳥時代、聖徳太子の時代です。日本に仏教が伝来したのが6世紀と言われていますので、仏教が伝わった頃からあることになります。なぜこんなにも古い企業が多いのか。その理由は日本が島国だからだと言われています。
例えばヨーロッパは陸続きであり、国家間の人やモノの移動が簡単です。他国では頻繁に戦争があり、支配されたり支配したりを繰り返してきました。
しかし、日本は世界で唯一他民族から支配されたことがない国です。
皇記という言葉を聞いたことがあるでしょうか。皇記とは神武天皇が即位した年を元年と定めた日本の紀元です。皇記元年は西暦紀元前660年で、2016年は皇記2676年です。
つまりこれほど長い歴史を持つ国は他にはないのです。
歴史的にも他国との接触を避けた時期もあります。外からの移民も少ない国でもあります。最近ではガラパゴス化と言われ、世界基準ではなく日本基準になってしまうという悪い側面もありますが、自国の企業がサービスやモノを提供し社会が成り立ってきたとも言えます。
長い歴史を持つ企業は、時代とともに変化を受け入れ伝統を守り続けてきました。そんな老舗企業の中で上場している最古の会社は松井建設です。
松井建設は1586年創業の建設会社です。1586年は戦国時代にあたります。本能寺の変が1582年といわれていますので、織田信長が明智光秀に討ち取られた直後から存在する企業ということになります。
初代松井角右衛門が加賀藩2代目藩主前田利長公の命を受け、越中守山城(富山県高岡市)の建築工事に従事したことから会社の歴史が始まりました。以降伏見城や瑞泉寺など歴史的建造物の建築を数多く手がけ、大正時代まで富山県を拠点にしていました。
1923年に関東大震災が起こり、15代目の松井角平が偶然被災しました。被害の甚大さに大きな衝撃を受けた角平は「首都を復興させることこそ建築に関わるものの使命である」と東京への進出を決意しました。
築地本願寺、桜田門、小田原城、金沢城など寺社仏閣に強みを発揮する一方、関東大震災後は住宅建築も手がけるようになりました。
最近では福岡県と富山県でソーラー発電所を建設しました。松井建設は時代の変化に対応しつつ今日まで成長してきた企業です。
もうひとつご紹介するのは、酢やみりん、納豆などで有名なミツカンです。ミツカンは失敗を恐れることなく様々なことに挑戦してきた企業です。
愛知県半田市で酒造業を営んできた初代の中野又左衛門が1804年に分家独立し、酢の醸造を開始したのがミツカンの始まりです。当時江戸で寿司が流行し始めていたことから業容が拡大しました。
ミツカンは商品そのものだけでなく企業イメージを高めようと、早くからブランディングを行なってきた会社です。
2代目のときには最上級の酢に「山吹」と命名して江戸で限定品として売りだしました。愛知県産の酢はすべて丸勘と呼ばれていましたが、高級商品に独自の名前をつけ差別化を図ったのです。
4代目は名前を中野から中埜にあらため、ミツカンマークを制定し、全国各地でミツカン商標のPR活動を行っていました。
1888年には当時人気だった歌舞伎の芝居小屋を借り切って1500人の得意先を招待するイベントを開きました。
ミツカン商標をお客に印象づけるために、客席にお弁当や酒を運ぶ店員はミツカンの商標を染め抜いたハッピやはんてんを羽織りました。またお客には商標をあしらったかんざしや徳利、お猪口などを配ったそうです。
以降新聞広告やカレンダーなどさまざまな媒体を活用して新商標を告知しました。
その後ポン酢、納豆など新たな業態で成功ましたが、その影で数多くの失敗もあります。
1889年にはビール製造を開始しました。ビールを製造するには酢の製造技術が役に立つのでいわば関連事業でした。一時は国内シェア第5位になりましたが、競争が激しく事業売却しました。
1971年にはハンバーガー店を事業化しました。ちょうどマクドナルドが銀座に進出したときです。しかしこちらも競争が激しく10年で撤退しました。
ほかにも飲料事業やカット野菜事業などでも失敗しました。このようにミツカンは失敗はしてきたものの、時代の変化を敏感に感じ取り挑戦してきた企業です。長く会社が存続するということは、変化し続けるということです。
世界最古の会社は日本にありました。その歴史は1400年以上です。これほど長い間存続できたのは、常に変化に対応してきたからです。
変化に対応するためには、それ以上の失敗があります。失敗を繰り返して初めて成功の道が拓けるのです。
バスケットボールの神様と呼ばれるマイケル・ジョーダンは成功した理由について以下のように言ったといわれています。
I’ve missed over 9,000 shots in my career. I’ve lost almost 300 games. 26 times I’ve been trusted to take the game-winning shot and missed. I’ve failed over and over and over again in my life. And that is why I succeed.
【約】
私はキャリアの中で9000本のシュートを外し、300試合に負けた。ゲームを決めるシュートを任されて26本も外した。人生で何度も何度も何度も失敗した。それが成功した理由だ。
成功するために失敗を恐れてはいけないのです。