カストロ議長|チェ・ゲバラ、キューバ革命、キューバ危機を振り返る

カストロとは、冷戦の中でキューバ革命やキューバ危機の中心人物であり、貧しいながらも高福祉国家を実現した人物です。キューバ革命を先導し、半世紀にわたり社会主義国キューバを導きました。カストロが2016年11月25日に亡くなりました。90歳でした。世界中に影響力を持つアメリカにたいして独立を保ったカストロという人物がいたことをご存知でしょうか。高度資本主義社会が揺らぐ現代において新しい視点を与えてくれるかもしれません。この記事ではキューバの指導者、フィデル・カストロについてまとめました。

カストロはどんな人?

fidel-alejandro-castro-ruz-63039_960_720

  • フィデル・カストロ(1926年8月13日~2016年11月25日)

キューバを半世紀にわたって支配していた人物です。

 

フルネームはフィデル・アレハンドロ・カストロ・ルスです。

 

カストロの革命への道

カストロはもともとハバナ大学卒業の弁護士で、キューバで国会議員を目指し選挙活動をしていました。

しかし、バティスタ将軍の独裁政権よって国会議員の道は断たれ、革命に邁進していきます。

 

そして1959年のキューバ革命以後2008年までキューバの指導者を務めました。

カストロは米国の資本主義支配に対抗してキューバ人のための国家を目指しました。

 

カストロの様々な側面

キューバは社会主義国家であり、長年のアメリカによる経済制裁によって貧しい国です。

しかし、高度な資本主義世界の現在、キューバの経済的な部分以外での豊かさを目指す姿勢は、多くの人々に賞賛されています。

 

また、他の社会主義国家の元首(例えば金日成や毛沢東、レーニン、スターリン)のように

  • 銅像を一切作らせていない

ことも彼の資質が見えるところです。

 

カストロ含め政府の要人も一般国民と同じ水準の暮らしをしていて、自転車通勤であったり、食料も国民と同じ手順で仕入れていたりといった話もあります。

 

一方で、その強硬なやり方から独裁者として彼を憎む人々も多くいるといわれています。

自分の信じる道を貫いた人物ともいえます。

 

余談ですが、野球選手としても優秀で、1944年には最優秀高校スポーツ選手に選ばれています。

 

 

現在の世界の中でも特殊な立ち位置にいるキューバですが、すべてはチェ・ゲバラなどとの革命運動から始まりました。

 

カストロとキューバ革命

cuba-660795_960_720

カストロの大きな仕事はキューバ革命です。

世界中を揺るがしたキューバ革命を成し遂げたカストロは当時わずか31歳でした。

 

キューバ革命への道|アメリカ資本主義支配

もともとキューバは西半球でももっとも豊かな国の1つでしたが、アメリカの支配が強く、あらゆるリーダーがアメリカによって失脚し、交代させられていました。

 

また、キューバの土地も3分の2がアメリカ資本だったとされ、実質的にキューバ人の力は声は小さい状態でした。

そんな中で、キューバ人自体はアメリカ資本により搾取され、貧しい生活を強いられる層も少なくなかったのです。

 

カストロはいびつなアメリカ資本の支配に疑問を持っていました。

 

バティスタ政権

そこで、カストロは民主的な手段で国を変えようと、国会議員を目指し選挙活動をしていました。

 

しかしそんな最中、親米的なバティスタ将軍による軍事クーデターにより独裁政権が誕生します。

 

カストロは国会議員への道を断たれ、またより親米的な路線に走るキューバを憂い革命へと邁進していきます。

 

キューバ革命

キューバ革命の始まりであるとされる、1953年のカストロ率いる武装勢力によるモンカダ兵営襲撃の失敗で、カストロは投獄されます。

 

モンカダ襲撃を機にカストロは革命の象徴的存在になります。

その後、恩赦により釈放されたカストロは政府軍との闘争を続け、1959年に革命を成功させます。

 

そして、政権樹立後すぐにアメリカ資本による土地を没収し、農地改革をしました。

この時、カストロは自分の親の土地も同じように没収して勘当させられたという話も残っています。

 

キューバの社会主義化

カストロは社会主義者ではありませんでした。

しかし度重なるアメリカの圧力やCIAによる暗殺未遂などから、当時冷戦中のアメリカの対立国のソ連を頼りにします。

 

ソ連としても、アメリカに近いカリブ海の要衝であるキューバを取り込むことは戦略上有効なことでした。

 

そして1961年、キューバは社会主義国家を宣言しました。

 

その後もソ連崩壊まで、キューバとソ連は友好関係を保ち続けました。

 

革命家チェ・ゲバラ

カストロとキューバ革命を語るうえで革命家、

  • チェ・ゲバラ(1928~1967)

の存在は欠かせません。

 

ゲバラは南米アルゼンチン出身の医師であり、革命家です。

 

ゲバラは学生時代に小さなバイクで友人と2人で南米大陸を旅して周りました。

その際、南米各国のアメリカ企業の搾取による経済的困窮などの状況を目の当たりにし、強い問題意識を持ちます。

 

そして、1956年に亡命先のメキシコでカストロ兄弟と出会い意気投合し、キューバ革命運動に参加していくのです。

 

キューバでのゲバラ

キューバ革命では、革命軍を率いて圧倒的多数の政府軍に勝利するなど、ゲバラの果たした役割は大きいものでした。

 

キューバ革命成就後もキューバの国立銀行総裁に就任し、アメリカの銀行にあったキューバの資産をスイスに移すなど、現在のキューバの基礎作りをしました。

 

その後、ゲバラはさらに南米の各国のアメリカ支配からの独立を目指し、再び革命運動に戻っていきますが、その途中の1967年ボリビアにおいて捕えられ処刑されました。

 

カストロとキューバ危機

cuba-804124_960_720

キューバが共産陣営に入ることで、ソ連はアメリカに対する戦略的要衝を手に入れることができました。

 

1962年カストロは冷戦対立の歴史上もっとも過酷な危機の中心人物になりました。

 

ソ連の弾道ミサイル配備に同意

カストロは、ソ連政府がキューバに弾道ミサイルを配備することに同意したのです。

 

カストロは当時のソ連のトップのフルシチョフに書簡で

  • 「核攻撃はアメリカに対して行使されるべきだ」

と語ったとされています。

 

1962年10月にアメリカの偵察機がミサイル発射装置の建設を発見したあと、2週間にわたり世界は現実的な核戦争の危機にさらされます。

 

人類史で世界がもっとも核戦争に近づいた2週間とされています。

 

これをキューバ危機といいます。

 

結局、ソ連はキューバからミサイル基地を撤去することで合意し、核戦争の危機は免れました。

 

カストロの功罪

shutterstock_351942851

冷戦対立が激化する中、キューバはラテンアメリカで唯一共産陣営に入りました。

カストロの行動は徹底して対アメリカのものでした。

 

そして、自らの信念を貫き通していきます。

 

ホームレスのいないキューバ

世界の中でも、貧しい国とされるキューバですが、キューバにはホームレスはいません

高校までの教育費は無料で、識字率は95%を超えます。

 

国民に占める医師の割合も多く、乳幼児の死亡率も世界の中でも低い数字を残しています。

アメリカを上回る数字を出しています。

 

100万人を超える亡命者

キューバ革命後、カストロは100万人を超える亡命者を生み出したとされています。

またカストロは、強い言論統制で自由がないとされるキューバを作ったともいわれています。

 

カストロを熱狂的に支持する人と圧倒的に嫌う人がいます。

カストロの真の評価はもう少し、歴史の流れを待たなくてはいけないのかもしれません。

 

高度資本主義が揺らぐ現代社会においてカストロの生き方は新しい視点を教えてくれるかもしれません。

あわせて読みたい

カテゴリー