日本郵船の事業内容、歴史、社長や創業者は?

この記事の結論は「日本郵船は6つの事業領域を所要事業とする日本を代表する海運会社。1885年に2つの企業が合併し設立された。初代社長は森岡昌純氏で、2016年8月現在の社長は内藤忠顕氏」です。海外貿易が重要な日本経済において、日本郵船は海運業を支えています。この記事では、日本郵船の事業内容、歴史、社長や創業者についてまとめました。

日本郵船の事業内容は?

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日本郵船の主な事業内容は以下の6つに分類されます。

  • 定期船事業
  • 航空運送事業
  • 物流事業
  • 不定期専用船事業
  • 不動産業
  • その他の事業

国内外合わせて、350以上の都市の港へ838隻の運航船舶が乗り入れており、運航船舶数規模及び連結売上高及び連結純利益で日本では第1位です。世界でも最大手の海運会社のひとつとなっています。

各事業の売上に占める割合は「定期船事業」が約31%、「航空運送事業」が約4%、「物流事業」が約21%、「不定期専用船事業」が約39%、「不動産業」が約0.4%となっています。

 

【定期船事業】

運賃、貸船料、コンテナ関連収益等の収受を目的として、定期船による国際的な海上貨物輸送、船舶貸渡業、コンテナターミナル業、港湾運送業、引船業を行います。

 

【航空運送事業】

航空運送業を行います。

 

【物流業】

倉庫業、貨物運送取扱業、沿海貨物海運業をグローバルに展開し、海・陸・空の総合物流ネットワークを提供しています。

 

【不定期専用船事業】

運賃、貸船料、運航受託手数料の収受を目的として、不定期船、タンカー等による国際的な海上貨物輸送、船舶貸渡業、その他海運事業を行います。

 

【不動産業】

不動産の賃貸、管理、販売を行います。

 

【その他の事業】

客船事業、情報処理サービス業、機械器具卸売業(船舶用)、石油製品の卸売業、その他運輸付帯サービス業、その他各種事業を行います。

 

日本郵船の歴史は?

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日本郵船は1885年に政府の仲介で郵便汽船三菱会社と三井系国策会社である共同運輸会社が合併し設立された企業です。当時の資本金は1100万円で、所有汽船は58隻でした。

1893年には日本初の遠洋定期航路としてボンベイ(現ムンバイ)航路を、1896年には欧州、シアトル、豪州航路、1911年にはカルカッタ航路を開設するなど日本と世界を繋げてきました。

その後も事業を拡大していきますが、戦禍により185隻の船を失い、終戦後には37隻と周遊船舶が減少します。

1949年に東京、大阪、名古屋の証券取引所に上場します。1951年には世界航路を再開することで経営を立て直しました。以後、多くの航路でコンテナサービスを展開していきました。

近年では、2006年に陸運大手のヤマトホールディングスとの資本提携など事業を拡大しています。

 

日本郵船の社長、創業者は?

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日本郵船の前身である2社の社長はそれぞれ、郵便汽船三菱会社社長は三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎(いわさきやたろう)、共同運輸会社社長は伊藤雋吉(いとうとしよし)です。

日本郵船の初代社長は共同運輸会社出身の森岡昌純(もりおかまさずみ)氏です。1834年の薩摩藩(現鹿児島県)出身です。1871年より明治政府に出仕していた官僚でした。1885年に日本郵船会社社長に就任し、1890年に貴族院勅撰議員に任じられました。

2016年8月現在の社長は、内藤忠顕(ないとうただあき)氏です。

内藤氏は1955年愛知県名古屋市出身です。1978年に一橋大学経済学部を卒業後、日本郵船に入社しました。東洋経済新聞によると、内藤氏は主に営業畑を歩きつつ、ドイツ現地法人の立ち上げなどに携わった経験を持っています。2009年からは経営企画部門を担当し、中期計画の立案も主導しています。

2015年から代表取締役社長に就任しています。

 

歴史ある日本を代表する海運会社

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日本郵船の歴史は古く、三菱財閥を源流にもつ企業です。日本の世界貿易の根幹を作ってきた会社といえます。世界的にも知名度が高く、日本海運の代表格として認知されています。

また経済活動の影響力から、日本の明治以降の歴史に大きく関わってきた企業ともいえます。日本郵船は日本の三大海運会社の一つであり、今後も日本経済において大きく役割を果たしていくといわれています。

日本は海外貿易が経済にとって重要な位置づけとなっています。海外貿易の一端を支えているのが海運業であり、海運業を支えている企業の1つが日本郵船なのです。


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